私とどっちが大事なの?
嫉妬に狂った女性は時折そうやって男性に詰め寄るものらしい。
珍しくよんだ恋愛小説にあったワンシーン。
こういう質問をするのが普通の女の子というものか。

ならば、聞いてみようではないか。




答えは、勿論一つだよね?







「私とランスロット、どっちが大事ですか?」

「勿論ランスロットだよ」

「はい、よくできました」



少しの間を空ける事なく、さらりと言ってのけた彼。
百点満点の回等に、私は極上の微笑みを浮かべ彼の首に両腕を絡ませる。

私達の関係はこれで正常なのだ。


一にランスロット、二にランスロット、最後におまけ程度にお互いを。
世界は全て愛しの白騎士様を中心に廻っている。

異分子な私達。
この恋は、たった一つの本物で、けれども偽りの。



何よりも大切なランスロットを前にして私達は口付けを交わす。
それは甘く、そしてとても背徳的な行為のように思えた。
まるで恋人のすぐ傍で他の誰かとキスしているみたいな。



ああなんて、ゾクゾクする。




私達が、“好き”とかそんな言葉を発するのはどこか滑稽だった。
まるでごっこ遊びみたいに幼稚で、他の人に見られたら笑われてしまいそうな気がした。
寧ろこの行為さえ、世間一般からすれば間違っているかもしれないとさえ思った程だ。


血肉の通う人間なのだから誰かに恋をするのが世間一般、この世の摂理であろう。
誰かを好きだとか愛しているとか果ては原始的な欲求に駈られる事だってある筈だ。
どれだけ聖人君子な者でもそれは人間として生まれたからにはもれなく付いてくる生理現象。

だから、おかしくない。



おかしいのは、そう例えば。

赤い血の代わりに複雑なコンピュータで構成され、骨肉の代わりに鋼鉄で組まれた戦闘兵器に恋をしてしまう奴。





私達は確実に、そのおかしな奴等だ。





今こうして抱き締めあっていてすごく高揚した気分になっているのだけど。
それはこの人と触れ合っているのが直接の原因ではない。

大好きなランスロットがすぐ傍に“ある”から。

ランスロットに見られながら交わす口付けに言いようの無い恍惚感を見出しているのだ。




私達は俗に言う『変態』に分類される。まず間違いないだろう。









「好きです、ロイドさん」

(心から、好きだと言えるのに。)


精一杯背伸びをして唇に、頬に、何度も何度も啄ばむようにキスをした。



「うん、僕も好きだよ。ランスロットの次にだけど」

(やっぱり一番は譲れなくて)(譲る気なんて毛頭ないけど)


彼の細い指が髪に絡まる。



「私だってランスロットの方が好きです」

(一番になど、なりたくない)



どちらからともなく、弄るようにして身に纏った衣服を脱がし始めて。







「僕の全ては」

「私の全ては」


(だってこの世界は)



直接肌に触れる冷たい指先が。









「「ランスロットだから」」





誰よりも、何よりも想う、ランスロットの指であれば、どんなに嬉しいだろうか。

(そう、私達の狂った世界は全部、この冷たい鋼鉄の白い騎士で構成されているのだから。)











目を覚ませない変態が2人、睦み合う。